記事:暗殺におびえたエドワード・ケネディ氏 FBIが資料公開

暗殺におびえたエドワード・ケネディ氏 FBIが資料公開

6月15日10時29分配信 産経新聞
 【ワシントン=佐々木類】故ケネディ元大統領の末弟で、昨年8月に脳腫瘍(しゆよう)で亡くなったエドワード・ケネディ上院議員が実兄2人が暗殺された後、常に暗殺される危険にさらされていたことが、14日に初公開された米連邦捜査局FBI)の資料で分かった。

 資料は、複数の米大手メディアが情報公開法に基づき開示請求していた。1961年から85年までのケネディ氏に関する情報収集活動をまとめたもので、計2200ページ以上に及ぶ。

 それによると、エドワード・ケネディ家に68年10月、暗殺予告の脅迫文が届いた。実兄のケネディ元大統領が暗殺されてから5年後で、もう一人の兄、ロバート・ケネディ上院議員が暗殺された数カ月後のことだった。

 それには「10月25日にお前は3人目の犠牲者になる。ケネディ家はせいぜい気をつけるんだな」と書いてあった。85年には「レーガン(大統領)とケネディを殺す。やるといったらやる」という脅迫文が届いた。

 また、FBIロバート・ケネディ氏の暗殺犯を取り調べたところ、暗殺犯が知人の受刑者にエドワード・ケネディ氏の暗殺を100万ドル(現在の価格で2億4000万円相当)で持ちかけていたことも判明した。

 米紙ワシントン・ポストによると、モンデール元副大統領はかつて、エドワード・ケネディ氏について「同乗の機中で彼は『やつらは兄2人を殺害した。次はおれを殺そうと狙っている』と大声でわめきちらしていた」と証言したことがあり、ケネディ氏が暗殺の恐怖におびえていたことを示唆している。

 ケネディ氏は80年の民主党大統領候補指名選に出馬して、現職だったカーター大統領に敗れた。だが、暗殺を恐れるケネディ氏が、政敵のカーター氏にホワイトハウス警護官による警備を依頼して承諾された経緯も明らかになった。

 一方、ケネディ氏が運転する車が池に転落、同乗の女性秘書が溺死(できし)したチャパキディック事件について、FBI資料は「事故当初、ケネディ氏が運転していたことは伏せられていた」と記載しており、捜査当局が隠蔽(いんぺい)に加担していたことを裏付けた。

 このほか、FBIのフーバー元長官がケネディ氏と共産主義者との接点を疑い、中米視察旅行の意図を注意深く観察、分析していたことも分かった。