記事:核密約「当初は認識せず」 外務省、報告書に見解

核密約「当初は認識せず」 外務省、報告書に見解

外務省が日米密約の調査報告書の中で、1960年の核持ち込み密約について、日本政府が当初、「密約」の根拠とされた合意の意味を認識していなかったとの見解を示していることが26日、わかった。調査では米政府から密約の説明を受ける63年までの文書で、合意を問題視したものが見つからなかったという。

 この密約をめぐっては、63年3月に池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわない」と密約に反する国会答弁をし、米政府を驚かせた。これを受け、ライシャワー駐日米大使が同年4月に大平正芳外相(いずれも当時)に会って密約の説明をしたことが米公文書でわかっており、日米間の解釈の食い違いがこれまでも指摘されていた。

 関係者によると、外務省は、この大平・ライシャワー会談まで、60年の合意により核搭載艦船の寄港を認めたことになると日本政府が認識していなかった、と結論づけている。調査では会談当日の記録は見つからなかったが、会談の存在を裏付けるその後の関連文書は見つかっているという。

 ただ、外務省の調査では、60年当時の交渉で中心的役割を果たした東郷文彦元北米局長が68年1月に密約の解釈を米側から聞かされ、自らの不明を恥じた自筆メモなども見つかっている。63年の大平・ライシャワー会談以降も、密約としての認識が政府内で広がらなかった可能性がある。

 密約をめぐっては、岡田克也外相が外務省に調査を命令。同省は11月20日に調査結果を岡田氏に報告し、これを受けて有識者委員会が検証に着手した。外務省の調査報告は、有識者委員会の検証結果とともに発表される。岡田氏は外務省調査で事実関係を洗い出し、歴史的評価有識者委員会に委ねる方針を示していたが、外務省自身も検証に先立って一定の見解を出していたことになる。

 有識者委員からは外務省の見解に「認識していなかったはずはない」「(文書の記述から)推察する方向が違う」との異論も出ている。(鶴岡正寛、倉重奈苗)

朝日新聞』2009年12月27日3時9分