記事:核密約、外務省高官の自筆メモ 対応悩んだ様子

核密約、外務省高官の自筆メモ 対応悩んだ様子

日米の核持ち込み密約をめぐる外務省の調査で、1960年の日米安保条約改定をめぐる交渉で中心的役割を果たした東郷文彦・元駐米大使ら同省幹部が、密約への対処に悩んでいたことを示す自筆メモが見つかった。「密約はない」としてきた同省幹部が密約処理にかかわっていたことを裏付ける証拠になる。

 密約が省内でどう認識され、引き継がれていたかは、調査を検証する有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)の注目点。東郷氏のメモのほか、70年代半ばに条約局長だった松永信雄氏(元駐米大使)のメモ、松永氏の後任の中島敏次郎氏(元駐中国大使)の作成文書も見つかった。

 東郷氏は安全保障課長などを歴任。北米局長当時の68年1月、牛場信彦外務事務次官とジョンソン駐日大使の硫黄島・父島視察に同行、ジョンソン氏から「核を積んだ艦船の寄港・通過は持ち込みに当たらない」との密約の米側解釈の説明を受けたことが米公文書で明らかになっている。

 東郷氏はこの際に初めて米側解釈を理解したとされる。見つかったメモはこの時のやりとりを踏まえ、核持ち込みをめぐる米側の理解と日本政府の国会答弁の矛盾にどう対処するか悩む様子がうかがえ、「苦悩がにじみ出ている」(外務省関係者)という。東郷氏が安保課長時代に安保改定交渉の問題点をまとめた文書も発見されたが、その中には密約に関する記述がほとんどないことも判明した。外務省が、核の一時寄港や日本領海通過についての日米の解釈のずれに気づかないまま米側と合意していた可能性が強まっている。

松永氏のメモは74年9月、米海軍退役少将のラロック氏が米議会で「(核兵器)搭載可能な艦船には実際に核兵器が積まれている。日本あるいは他の国に寄港する際に核兵器を降ろすことはしない」と証言した時の対応などを記している。81年5月、ライシャワー元駐日大使がインタビューで「核兵器を搭載した米艦船の日本への寄港が日米の合意のもとに容認されていた」と発言。その後、外務審議官に就いた松永氏は密約を問題視する内容のメモも残していたという。(倉重奈苗、鶴岡正寛)

朝日新聞』2009年12月17日4時4分