記事:外交文書:安保と沖縄返還対象に 30年ルールで初の公開

外交文書:安保と沖縄返還対象に 30年ルールで初の公開


 外務省は7日、非公開としてきた1960年の日米安全保障条約改定と72年の沖縄返還交渉に関する外交文書について、東京・麻布台の同省外交史料館で一般公開を始めた。作成後30年経過した外交文書は原則公開するとした、5月に制定した同省の新規則適用第1号。沖縄返還を巡る交渉で「核抜き」に言及した当時の三木武夫外相に対し、ジョンソン駐日米大使が強く反対していたことなどが明らかとなった。

 今回の公開対象は計37ファイル、約8100ページ。沖縄返還に関し68年5月に外務省で開かれた「日米継続協議」第1回会合に関する文書には、三木外相が沖縄に配備されていた核兵器撤去の可能性をただしたのに対し、ジョンソン大使が朝鮮半島や中国の脅威を念頭に「沖縄に核兵器がなくなれば共産側に行動の自由を与える」と激しく応酬したことが記録されている。

 同協議は沖縄返還のメドを「2ないし3年中」とした67年11月の佐藤栄作首相とジョンソン米大統領による日米共同声明に基づく。

 会合で大使は「益々沖縄基地の重要性は増える。日本が沖縄にいかなる抑止的役割を期待するかは、高度の政治的判断の問題だ」と述べ、沖縄返還後も基地の現状維持を求めた。これに対し外相は「政府の立場は白紙」としながらも、「世論は圧倒的に『核抜き本土並み』に固まりつつある」と反論した。

 また、68年11月の旧琉球政府の行政主席選挙に関し、日米両政府が「革新系の屋良朝苗氏が当選すれば、今後の日米協力に支障が出る」との認識で一致していたことも分かった。ただ、結果的には沖縄本島の「即時無条件全面返還」を掲げた屋良氏が当選した。【中澤雄大
 ◇参院選前にアピール狙う

 外務省の新ルール制定の背景には、昨年の政権交代以降、情報公開を積極的に進めてきた岡田克也外相の強いこだわりがある。参院選前に新たな規則の下での公開を実現し、情報公開への取り組み姿勢をアピールする狙いも込められている。

 「一定期間を経過した行政文書は、国民共有の知的資源だ」。岡田氏は6日の会見でそう強調し、「民主主義の根幹にかかわる重要な政策課題だ」と指摘した。

 これまで外交文書は、「外交活動に影響を与える」などの理由で非公開となるケースがしばしばあった。これに対し、新規則は「非公開部分は真に限定し、文書の歴史的意義は文書自体に語らしむ」ことを基本的考え方としている。非公開とするのは、有識者と省幹部でつくる外交記録公開推進委員会が公開で適否を判断し、外相が了承したもののみ。同省は推進委を3カ月に1回開き、30年経過した文書約2万2000ファイルを順次公開する方針だ。

 ただ今回岡田氏は、推進委が公開対象とした38ファイルのうち1ファイルの公開を「関係省庁と調整中」として見送った。調整のめどは立っておらず、同様の事態が頻発すれば「外相の恣意的判断だ」との批判を浴びかねない。新たな公開規則を定着させられるかどうか、今後の対応が試金石となる。【上野央絵】
毎日新聞
2010年7月7日 21時20分 更新:7月7日 21時53分


岸首相、安保改定交渉で懸念表明 「朝鮮、台湾の巻き添え困る」

 日米安全保障条約の改定を実現した岸信介首相が1958年10月に始まった改定交渉の初期段階で、外務省首脳に対し「朝鮮、台湾の巻き添えになるのは困る」と懸念を表明、在日米軍基地からの補給活動が「無条件」に行われることにも難色を示していたことが7日公開の外交文書から判明した。

 保守派の岸氏が日本の革新勢力が恐れた「巻き込まれ論」に通じる懸念を共有し、旧安保条約下で事実上、無制限に基地使用が認められていた米国に対しても一定の警戒心を抱いていたことが文書から読み取れる。また、改定条約の適用範囲を「太平洋」に拡大しようとする米側に抵抗した岸氏の問題意識を示している。

 文書は「覚」と記された手書き資料で、60年の安保改定に至る経過をまとめた文書群に含まれていた。日付はないが、58年10月18日に山田久就外務事務次官が安保改定をめぐる省内協議について、岸氏に説明を行った経緯が記されている。

 説明を受けた岸氏は、日本や沖縄、小笠原の防衛に関与するのはともかく、朝鮮半島と台湾における有事に日本が「巻き添えになることは困る」と発言した。


外務省が7日、1960年の日米安保条約改定に向けた交渉記録などの外交文書を公開した。当時の岸信介首相が、朝鮮半島や台湾を巡る戦争に巻き込まれるのを嫌って、条約を適用する地理的範囲の拡大に反対していたことが明らかになった。

 同省は作成後30年たった文書の原則公開を今年5月に決めており、今回、初めて適用された。安保関連や72年の沖縄返還交渉に関するファイル37冊が公開された。文書によると、岸首相は58年10月に外務事務次官から条約案について説明を受けた際、「朝鮮、台湾の巻き添えになることは困る」と述べ、適用範囲の拡大に強い警戒心を示した。

 同月作成の文書によると、日本外務省は条約の適用範囲が改定の「最も機微な点」と見ていた。米側は旧安保条約の「極東」から「太平洋地域」への拡大を要求。59年5月11日、マッカーサー駐日米大使は藤山愛一郎外相との会談で「太平洋地域の問題は議会関係では極めて重要」と述べ、米議会で承認を得るために拡大が必要だと迫った。

 外相は拡大に慎重姿勢を示し、同月14日も事務次官が大使との会談で「太平洋地域」に改めて難色を示した。これを受け、大使は「太平洋地域」の削除を本国に働きかける意向を示し、米側は6月中旬に削除に応じた。同19日には、外相が大使との会談で「(岸)総理も太平洋地域削除、大いに多」と謝意を伝えている。

 条約は結局、適用範囲を「極東」としたが、日本側は「極東」の解釈で譲歩。政府は翌60年、極東について「フィリピン以北並びに日本及びその周辺地域であって、韓国及び台湾地域も含む」との政府統一見解を出した。米国の「行動の範囲」は「必ずしも前記の区域に局限されるわけではない」とも表明した。

 今回の文書は同省外交史料館(東京・麻布台)で閲覧と複写ができる。外務省は外部の有識者を含む外交記録公開推進委員会を約3カ月に1回開き、作成後30年経過したが未公開の文書約2万2千冊の公開を進めていく方針だ。(鶴岡正寛)
2010年7月7日22時35分『朝日新聞