記事:蜜月築いた元外交官2人死去 中国、消える知日派 援助減り欧

【北京=矢板明夫】今月に入り、中国では知日派の2人の元外交官が相次いで死去した。80年代の「日中蜜月時代」を築いたこの2人の死は、欧米派が台頭し知日派が後退している中国政府の現状を象徴しているようだ。

 元外交官は、1972年の日中国交正常化に尽力した元共産党対外連絡部副部長の張香山氏(95)と、中日友好協会副会長の肖向前氏(91)。張氏は、鳩山由紀夫首相が就任後、初めて中国を訪問し胡錦濤国家主席と会談した10日に死去。その5日後に肖氏も他界した。

 2人は30年代に日本に留学し、東京高等師範学校(現筑波大学)で学んだ。帰国後、共産党に入党し、張氏は党、肖氏は外務省でそれぞれ対日工作を担当した。日本との国交正常化は新中国の外交の最も重要な課題の一つだった。このため、2人は周恩来首相と廖承志氏(後の党政治局員)から直接指導を受け、日中間の民間交流や貿易などを担当した。

 66年に始まった文化大革命で、肖氏は「日本のスパイ」との容疑をかけられ、強制労働に送られるなど迫害を受けた。中央に復帰したのは71年のことだ。

 翌年の田中角栄首相の訪中を実現させるため、2人は日中間を頻繁に往来し、連絡役と中国側の交渉窓口として動いた。その後約20年間、日中交流の第一線で大きな影響力を発揮し、84年に「日中友好時代」の象徴といわれる3000人の日本青年の中国訪問という大事業も手がけた。

 知日派の後輩育成にも力を注いだ。のちに外相、国務委員となった唐家●氏や、前駐日中国大使で現在は台湾弁公室主任(閣僚)の王毅氏、外務次官の武大偉氏らだ。彼らは張、肖両氏の“弟子”にあたる。

 「2人が最も活躍した70、80年代の日本と中国は特別な関係にあった」とある日中関係者は指摘する。日本は中国に歴史問題で謝罪し、資金、技術供与を繰り返す時代だった。教科書問題や台湾問題など一時、対立もあった。「対日交渉の際、肖氏は表で交渉し、張氏は裏で根回しをする。実に見事連係プレーだった」と別の関係者は振り返る。

 中国の改革・開放の成功は日本の助けによるところが大きい。日本の援助を多く引き出したことで、中国外務省における知日派の影響力は大きくなり、外相、次官を多く輩出した。しかし、2000年以後、日本の対中援助が減少するにつれ、中国外交は米国中心にシフトしはじめた。

 03年に知日派の唐家●外相が国務委員に転じたあと、外相は駐米大使経験者のポストとなった。現在の崔天凱駐日大使も楊燕怡アジア局長も欧米派だ。来年までに引退するといわれている武大偉次官を除いては、主要幹部の中に知日派はいない。



 こうした状況は今後、日中の外交関係に少なからず影響をおよぼすことになるとみられる。

 ●=王へんに旋

2009/10月20日7時56分配信 産経新聞