記事:元外務省高官「米の核持ち込み公認検討」 田中内閣時代

1974年の田中角栄内閣時代に、政府が核兵器を搭載した米艦船の日本への寄港や領海通過を公認する方向で検討を進めていたことを、当時の事情を知る元外務省高官が8日、朝日新聞の取材に対して明らかにした。

 日米両国は、60年の日米安保条約改定の際に核搭載艦船の日本への寄港や領海通過を認める「核密約」を結んでいた。田中内閣は「密約」を維持し続けることには無理があると判断していたと見られる。核を作らず、持たず、持ち込ませずとする非核三原則のうち、「持ち込ませず」が当初から形骸(けいがい)化していたことが改めて明らかになった。

 この元高官によると、74年当時、木村俊夫外相、東郷文彦事務次官(いずれも故人)らによる少人数の会合で、木村外相が、核を積んだ米艦船の寄港を政府が公式見解として認めていないことについて「なんとかしなければならない。田中首相とも話したが、そうした考えだった」と述べたという。

 74年当時、政府が米艦船による核持ち込みを認める方向で米側と折衝し、非公式な合意に達していたことは、木村元外相が生前、朝日新聞記者に証言していた。交渉は、田中内閣の総辞職に伴い中断されたという。今回の元高官の証言は、木村・元外相の証言を裏付けるものだ。

 木村元外相が75年に朝日新聞記者に対して行った証言の骨子は(1)米艦船が核を積んだまま寄港し、領海を通過しているのは事実(2)政府は寄港や領海も事前協議の対象だとしているが、これを証明する文書はない(3)偽りを続けるよりは領海通過と寄港だけは容認する方針を田中首相と決め、対米折衝した結果、非公式合意した(4)しかし、本交渉に入る前に田中内閣総辞職でご破算になった、の4点。

朝日新聞 2009年7月9日