記事:非核三原則修正、核艦船寄港の容認検討

非核三原則:修正、核艦船寄港の容認検討 74年、田中内閣時 大河原元駐米大使証言

 

1974年11月のフォード米大統領(当時)の来日に合わせ、日本政府が非核三原則の「持ち込ませず」を事実上修正し、核搭載艦船の寄港を公式に認める方向で検討をしていたことがわかった。外務省アメリカ局長から官房長に就任していた大河原良雄元駐米大使(90)が毎日新聞の取材に明らかにした。核搭載艦船については60年安保改定交渉時に結ばれた寄港を認める密約がある。現職米大統領の初来日をきっかけに密約を解消し米国の核の傘を明確化する動きだったとみられる。

 大河原氏によると、フォード米大統領の来日を控えた74年秋、田中角栄内閣の木村俊夫外相(故人)、東郷文彦外務事務次官(同)、大河原氏らによる少人数の外務省最高幹部の会合で、木村外相が「米国の核の傘の下にいる日本として(核搭載艦船の)寄港を認めないのはおかしい」と発言。「非核三原則の『持ち込ませず』は陸上のこと。寄港は持ち込みに含まれない」と解釈を変更する案について検討を指示した。

 木村外相は「総理にあらかじめ(解釈修正の諾否を)聞いたが、総理は『じゃあ(修正を)やるか』と言っている」と、田中首相が了承していることも伝えた。しかし、フォード氏来日直後の同年11月26日、田中首相は金脈問題などの責任を取り退陣表明、12月9日に三木武夫内閣が発足。木村氏に代わって宮沢喜一氏が外相に就任、話はそのまま立ち消えになったという。

 政府の公式見解は、寄港も「持ち込ませず」の対象で「米側から事前協議の申し入れがない限り、核は持ち込まれていない」とするもの。しかし、74年9月にラロック退役米海軍少将が「米艦船は核兵器を積んだまま日本に寄港している」と証言。その一方で当時、米空母ミッドウェーが横須賀を母港にしており、米大統領の来日にあたって問題が焦点になれば日米関係が混乱する可能性もあった。外務省最高幹部の会合は、こうした状況を踏まえてのことだったとみられる。【須藤孝】

毎日新聞 2009年7月7日