記事:(社説)大正天皇実録―歴史資料は黒く塗らずに

大正天皇実録―歴史資料は黒く塗らずに

天皇の日々の行動を記した「大正天皇実録」の晩年の部分が、宮内庁で閲覧できるようになった。情報公開請求をきっかけに02年から部分的に見られるようになり、3度目となる今回の公開で、天皇在位期間(1912〜26年)の記録がすべてそろった。

 「実録」は、天皇の没後に様々な資料に基づいて作られる公式の記録だ。「大正天皇実録」は当時の宮内省が37(昭和12)年に完成させた。明治天皇の実録が68(昭和43)年から全文出版されたのとは対照的に、その内容は明らかにされていなかった。

 いつ、何があったのかを知るのは歴史研究の基本だ。よく分からないことが多かった大正天皇について、実録は様々な基礎資料を提供する。

 一連の公開で、大正という元号の出典が中国の「易経」だったことがはっきりした。天皇が政務から引かざるをえなくなった病気についても経過がかなり詳しく分かる。一方で、即位直後には神奈川県の葉山でヨットに乗るなど、病弱というイメージとは違う横顔も見えた。自身が詠んだ多くの漢詩からは膨らみのある人間像も伝わる。

 このように実録が世に出た意味は大きい。だが、公開にあたって宮内庁がかなりの部分を黒く塗って隠したのは納得できない。

 計29冊になる1、2回目の公開では640カ所以上も塗りつぶされた。何行にもわたって完全に消された部分もある。国家統治の中枢にいた天皇が受けていた報告の内容を隠した部分が多い。研究者からは「歴史への冒涜(ぼうとく)」という批判の声が上がった。

 今回は、官報など当時の公表資料にある情報には手をつけず、黒塗りを減らしたというが、それでも9冊643ページの中に約250カ所あった。例えば、皇太子(後の昭和天皇)が摂政となるくだりで、皇族会議召集の記述の一部が消された。

 国の安全や個人の人権を損なうような情報は別として、歴史資料は全面的に公開するのが筋だ。80年以上も前に亡くなった公人中の公人の公式記録を隠す理由はない。

 公開に時間がかかり過ぎるのも問題だ。内閣府の情報公開審査会が「できる限り速やかに」と宮内庁に意見したのは01年12月。だが、6年半たっても公開は本文85冊の半分以下だ。即位前の分は明らかになっていない。

 宮内庁はいま、「昭和天皇実録」を作っている。21世紀を生きる人々が歴史と向き合う資料になるはずだ。完成したら今度は、可能な限り早く、黒塗りなしで公開してもらいたい。

 歴史資料は、過去を後世に伝えるだけでなく、国の機関が国民に対して説明責任を果たすためのものでもある。きちんと公開されてこそ、公共の財産として未来を作る知恵の糧となる。

朝日新聞』2008年6月8日