記事:大正天皇実録

大正天皇実録、3回目の公開 病状、具体的に記述

 大正天皇(1879〜1926)の日々の動静や、かかわった出来事などを年を追って記した文書「大正天皇実録」の閲覧が4日午前、宮内庁書陵部で始まった。02年、03年に次いで3回目。
 今回公開されたのは、21(大正10)年7月から、27(昭和2)年2月までの約6年間を記録した9冊。皇太子(昭和天皇)が摂政を務めるようになり、大正天皇が死去、多摩陵に葬られるまでにあたる。
 大正天皇の病気について、15(大正4)年11月ごろから階段の上り下りの際に側近の補助を必要とするようになっていたことや、16(大正5)年12月に初めて尿に微量の糖分が検出されたことなど、具体的な病状の記述がなされている。
 一方、今回公開された部分で黒塗りがなされた個所は、全体の2%にとどまった。
 同実録は本文85冊、年表4冊、索引7冊、正誤表1冊の計97冊から構成され、宮内省図書寮編修課によって、37(昭和12)年に完成した。

朝日新聞』2008年06月04日

宮内庁は4日、大正天皇(1879〜1926年)の行動やかかわった出来事などを年代順に記した「大正天皇実録」のうち、晩年に当たる5年7カ月分を公開した。
 天皇や皇族などの個人情報に関するものは非公開とされ、同庁によると、公開された約16万字のうち約2%に当たる3084字が黒塗りとなった。
 公開されたのは、大正天皇の体調が悪化した1921年(大正10年)7月から、逝去後に大葬が行われた27年(昭和2年)2月までの9冊(巻77〜85、計643ページ)。
 過去の公開でほとんど記載のなかった大正天皇の病状については、裕仁皇太子(後の昭和天皇)の摂政就任の記述の後に、「大正3年ごろより軽度の御発語御障害あり」などとし、その後姿勢が傾いたり、尿から糖分が検出されたりしたことなどを2ページにわたって記述。
 しかし、21年11月21日に摂政就任に関する皇族会議の召集を皇太子に要請した人物については、黒塗りとされた。 

時事通信』6月4日