加瀬俊一『吉田茂の遺言』

加瀬俊一『吉田茂の遺言』(読売新聞社、1967年)
 加瀬俊一という名の外交官は二人いて、戦争末期スイス公使でアレン・ダレス工作にかかわった「大加瀬」ではなく、こちらは国連大使を務めた「小加瀬」の方である。大加瀬は戦後早くに亡くなったが、小加瀬は2004年に101歳で大往生を遂げた。彼は戦艦ミズーリで降伏調印に参加した最後の生き残りであった。
 外務省きっての名文家であり、経歴といい長命であることといいどこかしたらジョージ・ケナンと似ているが、もちろんケナンとは比べるべくもない人である。吉田茂重光葵、そして佐藤栄作と巧みに権力者の寵を受け、評判芳しからぬ佐藤のノーベル平和賞受賞の裏工作をしたことでも有名である。
 彼は多くの著書を残しているが、今日、若干再刊されているものを除けば書店で入手できるものは少ない。名文家ではあるが筆が滑りすぎると評されるが、確かに本書を読んでみても文体に比して内容が薄い気がしなくもない。とはいえ晩年の吉田によく使えた人物であり、吉田の思考を知るには彼の叙述は有益ではある。
 当たり前のことだが多くの著書を著しても十年後には一冊も見かけなく物書きがいれば、吉田満のように生涯に一度きりの鮮烈な作品が長く後世の人々に読まれることもある。書物の大量生産、大量消費の時代が到来して久しいが、一書を著すということは、いかに美文名文を書けるかということではなく、どれだけ自分の魂を打ち込めるかということなのだろう。