記事:外交文書公開:機密電報焼却の痕跡 沖縄返還、密約関連から

外交文書公開:機密電報焼却の痕跡 沖縄返還、密約関連から

 外務省は22日、72年の沖縄返還をめぐる交渉などに関する外交文書291冊の一般公開を東京・麻布台の外交史料館で始めた。沖縄返還に際して米国が支払うことになっていた米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりした密約をめぐるファイルの中から、3通の機密電報を焼却した痕跡を示すメモが見つかった。焼却処分を示す文書が見つかったのは初めて。また、目次や表紙がありながら文書本体が欠落しているものもあった。焼却された文書の内容は不明だが、意図的な廃棄も疑われかねず、外務省の文書管理のあり方が問われそうだ。

 問題のファイルは、「沖縄関係18 沖縄返還交渉 機密漏(ろう)洩(えい)事件(国会対策等)」。原状回復補償費の肩代わりに関する機密公電のコピーを毎日新聞西山太吉記者(当時)が外務省事務官から入手し、それを基に野党が国会で疑惑を追及した時期にまとめたとみられる交渉過程の関連文書や想定問答などがとじられている。

 焼却を示すメモは、日米外相レベルで返還交渉の最終合意をする71年6月9日前後に行われた愛知揆一外相とマイヤー駐日米大使による会談録などの一覧表のわきにあった。「機密電報」とのタイトルで、作成日の記載はなく、「5−1」「5−2」など八つを挙げ、うち三つの隣に、「焼却5/31」と書き込まれていた。このメモ以降、会談録などが続くが、数字で示された「機密電報」が何を指し、何を焼却したかは不明だ。

 また、ファイル内容を記した手書きの目次では、番号1の「沖縄返還交渉機密漏洩事件」が横線で消され、「文書なし」と書かれていた。他の文字と違う細い線と字で、事後的に書き込まれたとみられる。実際に、目次番号2〜11の文書はとじられているが、「沖縄返還交渉機密漏洩事件」は表紙だけで文書は欠落していた。

 その後の94年3月に新たにタイプで作成された目次には「沖縄返還交渉機密漏洩事件」そのものが消え、この時期までに何らかのことから欠落した可能性が高いとみられる。

 外務省外交記録・情報公開室は「焼却」について「40年も前の文書管理については分からない。調べるにも限界がある。適切に処理した結果だと信じたい」と語った。【西田進一郎】

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 ■解説
 ◇情報公開消極性改めて

 外務省が作成・取得から30年を経過した外交文書の原則公開を徹底してから今回で3回目。沖縄関係の機密電報の一部焼却の痕跡が見つかったことで、改めて同省の情報公開に対する消極姿勢が浮き彫りとなった。

 また、同じファイルにつづられた「沖縄返還交渉機密漏洩事件」の文書がないことでは、担当者は「欠落と言い切れない」と釈明。所管課などが文書を適宜、分割統合する際に他のファイルに入れた可能性や同じ文書のコピーなので不要と判断して廃棄した可能性もあるという。

 担当者は「変なことはしていない。操作せずにやっているためにおかしな結果になっているのだと思う。ファイルにつづられた文書をありのままに公開しているだけだ」と話した。

 外交文書の公開制度は75年12月にスタートした。作成から30年以上経過しても、公開されていない文書が約2万2000冊もあり、30年公開ルールは事実上、形骸化していた。このため、岡田克也前外相は今年5月、「外交記録公開に関する規則」を施行。外部有識者を含む「外交記録公開推進委員会」が仕分けし、外相が了承したものを自動公開することになった。

 新規則で、同省は「文書をして語らしむ」との方針の下、記者への概要説明をやめている。その結果、十分な調査もされず、「焼却」の詳細や欠落の理由は不明だ。

 NPO法人情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事は「一連の記録から一部だけ抜き取って廃棄することなど本来あり得ないし、やってはいけない。歴史的な意思決定過程が分からなくなる。文書の検証は研究者や報道機関の役目だが、外務省はそれを理由に説明の機会をなくしていいことにはならない」と指摘する。【内藤陽】
毎日新聞』2010年12月22日 東京夕刊