記事:関東軍のソ連情報、敗戦直後に米へ提供 資料見つかる

戦時中に関東軍が収集した旧ソ連関係の情報などを、敗戦直後、日本が米国に大量に提供したことを示す資料が、米国立公文書館に保管されていることが分かった。日本軍の特務機関の活動や、敗戦直前にソ連軍が参戦した際の戦況の詳報など貴重な資料もある。日本軍は敗戦で解体されるが、戦後の時代に入り、共産圏諸国との対立に向けて、米軍に情報を提供することで生き残る道を見いだそうとしたことがうかがえる。

 国文学研究資料館(東京都立川市)の加藤聖文(きよふみ)助教(日本近現代史)が公文書館で見つけ、分析した。約120点で、朝鮮戦争で米軍が押収した北朝鮮の文書類に混入する形で保管されていたという。

 「業務ニ関スル綴(つづり)」と題された冊子は、戦後に陸軍省を引き継いだ第一復員省の資料収集の担当者が整理したもので、終戦翌年の1946年、日本を占領・統治した連合国軍総司令部(GHQ)から、旧満州に駐留した関東軍の上級将校の名簿や特務機関の機能の詳細について報告するよう指示があったことが記載されている。

 敗戦時、大本営などにあった資料の多くは焼却処分されたと言われる。第一復員省はGHQの指示を受け、国内にいた関東軍の元将校らに情報提供を呼びかけたり、未処分の手持ち資料を提出するよう求めたりしたと見られ、それらが提供されたようだ。

 保管された資料の中にある41年8月の「最近ノ戦史ニ基ク『ソ』軍ノ特性」は、参謀本部ノモンハン事件などを元にソ連軍を分析したもので、「如何(いか)ナル犠牲ヲ払フモ顧慮スルコトナク作戦ヲ遂行スル強引ナル傾向顕著ナル点ハ彼ノ一特性トシテ注意ヲ要スルモノト認ム」と指摘している。

戦後に陸軍の元参謀からソ連の諜報(ちょうほう)組織について聞き取りをしたとみられる調書もある。ソ連の諜報活動を詳述し、中国共産党ソ連の諜報部との関係について「緊密な連絡があり中国に於(お)ける日本軍の配置、活動状況等がソ連に筒抜けになってゐた」と記載している。

 別の調書には、41年にドイツとソ連が開戦した後、「多数ノソ軍正規兵(将校モアリ)ガ満領内ヘ逃亡シテ来タ(2日ニ1人ノ割合位ト思フ)ガ其(そ)ノ内ニ相当多数ノスパイガ居タ」など激しい諜報戦について書かれている。米ソの情報戦の初期段階で、日本の情報は米国にとって価値があった、と加藤助教は見る。

 また、終戦直前の45年8月にソ連が対日参戦した時の「日ソ戦綴」には「黒河南北地区ニ於テ敵ハ全面的渡河ヲ開始セルモノノ如シ(兵力不詳)」など戦況が方面ごとに詳述されている。

 加藤助教は「米国は日本の戦犯容疑を把握するだけでなく、ソ連の情報がほしかった。一方、旧軍は特務機関の文書などは処分するだけでなく、米国との『取引』のために使おうともしていた」と分析。「敵同士だった旧軍と米軍が、『ソ連情報』を媒介としてつながっていく過程が分かる」と話している。(川端俊一)

2010年9月6日3時0分 『朝日新聞