日本版NSC構想の挫折

 福田政権が日本版NSC構想の断念を発表した。安倍前首相の肝いりで始められた日本版NSC構想は、首相の外交安全保障面での司令塔機能を強化する狙いがあったが、福田政権はこれを引き継がず、関連法案を本国会限りで廃案とするようだ。

 廃案の理由を福田は、「今の政治状況では、法案を審議する状況になく、成立する見込みも極めて乏しい」と語る*1。だが、おそらく国内政治事情だけではなく、彼自身の外交スタイルにも関わっているのだろう。

 福田は、訪米前の12月初旬に私的懇談会「外交政策勉強会」を設け、五百旗頭真防衛大校長、白石隆政策研究大学院大学教授、谷野作太郎元中国大使、岡本行夫外交評論家といった有識者の助け得て、自らの外交スタイルをうちだそうとした*2

 ここで助言者として福田が選んだのは、彼が官房長官時代から助言を求めてきた有識者たちであり、明らかに安倍政権とは人脈が異なる。あえて単純化の弊を犯せば、安倍外交を支えたナショナリスティックな色彩が強い「親米保守」論者が後退し、同じ対米基軸路線の重要性を認識しながらも、広義での国際協調外交やアジア外交(とりわけ中国)を重視する「親米リベラル」人脈が再浮上してきたことを示しているといえる。

 日本版NSCの挫折もこうした人脈の変化と無縁ではない。もともと日本がモデルとする元祖アメリカのNSCは、1947年、ソ連との冷戦の本格的な始まりを控えてトルーマン政権が設置したものであり。いわば「対決型」外交を意識したものである。日本版NSCは、台頭する中国に対する長期的な外交戦略を官邸主導によって構築しようというものであり、中国を「対決」を強く意識したものであるのはいうまでもない。おそらく安倍政権の助言者は、アメリカがたどった道を念頭において、日本版NSCの設置に続いて、総合的な情報の収集、分析を行う情報機関の新設(日本版CIA)も考えていたことは間違いない。小泉元首相は、大統領型首相として振る舞ったが、安倍とその助言者は、大統領型首相の制度化を図ろうとしたのである。

 だが、安倍政権の突然の終焉によってこうしたシナリオは完全に崩れた。福田政権の誕生によって、こうした人脈は一時的に後に引くこととなった。彼らの悲願であった日本版NSC構想もまた頓挫したのである。