下山事件研究をめぐる三冊

下山事件―最後の証言 
柴田哲孝下山事件―最後の証言』(祥伝社、2005年)


下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫)
森達也下山事件―シモヤマケース』(新潮社、2004年)


葬られた夏―追跡下山事件 (朝日文庫 (も14-1))
諸永裕司『葬られた夏』(朝日新聞社、2002年)



 近年、新証言を盛り込み、元陸軍軍属による他殺説の立場にたった下山事件研究が相次いで上梓されている。諸永祐司、柴田哲孝森達也の著作は、いずれも同一の情報源を発端としたものであり、当初は調査を共にしていたが、後に分裂して三者三様の研究が公刊される結果となった。これらの著作のなかで、現時点において、下山他殺説の決定版といえるものは、いうまでもなく柴田の著作である。一連の下山事件の再評価においては柴田が決定的な一次情報を握っており、その描写には他の二冊に見られないリアリティがある。また最も遅く刊行されたことから、前二著で紹介された多くの新情報や証言を踏まえて、下山事件の構造的背景に迫っているという点では、他の二作に比べて際だっている。
 しかし、三者の中で、発生から50年が過ぎ生存者も少なくなった下山事件を自らの足で徹底した調査を行ったのは朝日新聞の諸永であろう。柴田が自身の親族や矢板玄から聞き出した重要証言を除けば、他の関係者からの新証言、米国への調査などの多くは諸永の手によるものであることが、この三作を読み比べればわかる。柴田の著作も、おそらくは諸永の徹底的な聞き込みと調査がなければ成立しなかったのではないかと思われる(柴田が森の著作を事実の捏造と酷評する反面、出版を抜け駆けしたにもかかわらず諸永の著作を直接的に批判していない理由はこのあたりにあるのかもしれない)。
 他方、前二者に比べて最も割を食ったのは、森であろう。彼自身、独自のインタビューを試みており、新たな事実上の発掘につとめているのであるが、刊行時期は諸永に先を越された上に、直後に柴田による決定版が登場した上に、その柴田によって内容の誤りを厳しく批判された。森の著作は、映像作家の視点からみた独特の描き方や、彼特有の冗長な表現は大目に見ても、事実の歪曲というノンフィクションとして致命的な過ちを犯している(本人も文庫版の後書きでそれを認めているが)。一連の下山調査の内幕を明らかにしているという点では興味深いが、調査手法、関心の拡散、情報リテラシーの低さは全体として著作をまとまりのないものにしている観は否めない。
 とはいえ、これらの三つの著書を見てもなお、下山事件の全貌が解明されたとは言い難い。なぜなら、三作とも柴田の親族の伝聞を唯一の根拠としており決定的な証拠史料を欠いているからである。それ以外にも多くの関係者へのインタビューを試みているものの、それらの証言も全てが伝聞であり、当事者による証言ではない。おそらく史学研究にたずさわるものであれば、関係者の伝聞に依拠することがいかに危ういものであるかは理解できよう。これら三作とも当事者による「決定的」証言は、斉藤茂男の取材ノートと、信憑性の点で疑問の多い矢田美喜男、畠山清行が行った調査やインタビューに依拠しており、決定的証拠といえば、結局は従来の証言の堂々巡りをしている観がなくもない。仮に柴田の祖母が焼却した祖父の日記を現存していれば、また、亜細亜産業の矢板玄から生前より詳細な事実を聞き出すことができれば、下山事件の真相を明らかにする決定的な証拠になったかもしれない。しかし、柴田の著作を見ても明らかなようにそれは不可能であった。おそらく米国のG2関係の公文書や、事件に関わった当事者の日記や一次史料が登場しない限り、今後も下山事件の全貌は謎のままであろう。謀略の性質上、こうした文書が存在する可能性は低いかもしれないが、米国に散在する占領期関係の個人文書の調査も含めて一度本格的に取り組みたい魅力的なテーマである。