Peter Duus, Daniel I. Okamoto, ”Fascism and the History of Pre-

Peter Duus, Daniel I. Okamoto, "Fascism and the History of Pre-War Japan: The Failure of Concept," Journal of Asian Studies, Vol.39(November 1979):65-76.


 日本「ファシズム」を様々な政治学の分析枠組を用いて説明することでその事実上の破綻を論じた論文。同論文では、政治システムを論じるマルクス主義理論や近代化論の立場からファシズムの理論がいかに扱われてきたかを論じ、ついで、さらにエリート理論の立場から日本の官僚制度の分析が不可欠であると論じ、さらにコーポラティズム論に見られるような政治過程論の重要性を説く。最後に従来、国内政治の延長から対外政策の展開を論じてきた日本ファシズム論に対して、国際システムから国内政治への影響を見る従属論や世界システム論を紹介している。
 1979年に英文で出されたこの論文は、同時代の日本の政治学・政治外交史学界における新たな潮流の到来を象徴している。丸山真男の研究に始まり日本の政治学界に強い影響力を有してきた日本ファシズム論ないしファシズム概念が、一方で、アメリ政治学によって理論武装された政治学者によって疑問が呈され、他方で、新たに公開された戦後の一次史料によって武装された政治史学者からも疑問が呈されるようになるのは70年代後半であった。大嶽秀夫らのレヴァイアサン・グループの政治学者や、実証史家、伊藤隆の「革新派」研究、政治社会学の立場からの筒井清忠の日本ファシズム論批判は、確固たる一次史料やデータに基づく「実証研究」を看板に掲げることによって、実証的に弱く政治概念の構築のみを重視しがちであった旧来の政治学に新たな新風を吹き込んだといえる。
 またDussがここでコーポラティズムに着目し、政策過程論的研究への将来性を指摘している点も興味深い。同じく70年代後半から従来のファシズム研究とは距離を置いた国際政治学あるいは法学部系の政治外交史研究者の手によって、新たに公開された一次史料を駆使しつつ同時に政策過程論の枠組みを用た研究が進められた。細谷千博・綿貫譲治の編著である「政策決定過程の日米比較」を代表的なものであるが、五百旗頭眞の「米国の対日占領政策」もこうした枠組みを用いている。外交史は政策過程論という分析ツールを用いて発展したのである。
 しかし「実証研究」という共通性をもって、政治学と歴史が共闘できた時代は短かった。政策過程論の理論的考察はまもなく行き詰まりを見せた。政策決定者がいかに政策を決定するかは結果的にはケースバイケースであり、詰まるところ「ゴミ缶モデル」であるとすれば、それ以上の理論的発展は望めないかった。政治学はより「理論」構築志向となり、さらには経済学の影響を受けた計量分析が盛んになるにつれて、政治外交史と袂を分かつことになっていく。他方、政治外交史はより史料発掘を重視して理論的考察は二次的なものとなり、政治学と政治外交史はscienceとartの志向性の違いとして分化していったように思える。
 こうした流れは学問の発展という評価はできるが、他方学問の細分化によって政治学の研究から共通言語とスケールの大きさが失われた観がなくもない。DussとOkamotoの論文の注釈を見たとき、Marxに始まりSamuel Huntington、Inmanuel Wallerstein、Peter Drucker、Robert Dahl、Noam Chomskyと知の巨人達の研究から引用が続いている。マルクスを除いた知の巨人達がまだ現役だった頃の論文という事実を割り引いても、いかに昔の研究が、スケールの大きな議論をし、かつまた学際的であったかを物語っているように思える。