Qiang Zhai, China & The Vietnam Wars, 1950-1975

Qiang Zhai, China & The Vietnam Wars, 1950-1975, Chapel Hill; The University of North Carolina Press, 2000, Introduction.
China and the Vietnam Wars, 1950-1975 (The New Cold War History)


 近年の中国側の一次史料の公開によって、朝鮮戦争前後までの中国の対外政策の研究はずいぶん進展した。さらに2005年1月より中国政府は建国以後の1950年代以降の外交部文書の順次公開に踏み切り、今後さらに新資料を用いた研究の進展が期待される。本書は、新たに公開された中国側の一次史料や二次文献を用いつつ、ヴェトナム戦争への中国の関与の実態について明らかにした研究である。本書において序文を寄せているJohn Lewis Gaddisが言う「新しい冷戦史」を代表する一冊である。
 序章においてQiangは、本書の分析視角として、中国の外交政策における最高決定者であった毛沢東インドシナ政策の背景にある動機が何であったかに着目するとしている。 毛沢東の動機のまず核心的ともいえる部分は、彼の地政学的な情勢判断である。毛は米国が中国の安全保障と革命に対する最大の脅威であると捉え、ヴェトナムやパテト・ラオの支援を通じて、アメリカのインドシナへの影響力を弱め、ワシントンの中国封じ込め政策に対して巻き返しを行うと信じていた。しかしこうした情勢判断は1960年代後半から70年代前半にかけて、毛沢東ソ連を米国以上の脅威を認識するようになることで、ヴェトナムに対する米国の脅威は減少することとなった。それゆえ毛沢東は北ヴェトナムに和平を進めるようになる。
 他方、毛沢東反帝国主義闘争と革命に対する揺らぎなき信念は、インドシナ政策に重要な影響を与えた。生涯を革命に捧げた毛沢東の狙いは古い中国のみならず古い世界秩序そのものを変革することにあった。毛沢東にとってフランス統治下のインドシナは古い世界秩序の象徴ともいえた。既存の世界秩序の変革されることなしに、中国革命が達成した成果は長く保たれることはない。新たな世界秩序を創造が、結局のところ共産中国の最良の安全保障であると毛沢東は考えていた。毛沢東が、中国国内の安全と繁栄を反帝国主義闘争の継続や革命の輸出を同じように見ていたのは、こうした安全保障意識とイデオロギーが複雑に混合されていたからである。毛沢東にとって、インドシナは、かなりの部分において中国の自己イメージが投影されたものだったのである。
 とはいえ、そのことは毛沢東が常に東南アジアの革命を同じ熱意によって語り続けたわけではない。1954年から60年にかけて東南アジアの支援を緩慢にした背景には中国の経済発展を重視したからである。また54年のジュネーブ会談は毛沢東朝鮮半島のような米国との直接対決を回避したかったからである。また61年のラオス中立化においても同じことが指摘できる。毛沢東は真に中立化を望んでいたわけではなく、パテトラオのための時間稼ぎに過ぎなかった。彼は革命的な変革は短距離走ではなくマラソンであると考えていたのである。
 さらに第三に重要な要因は、ベトミンと中国共産党幹部との個人的紐帯である。ホー・チ・ミンはかつて周恩来中国共産党幹部と共に革命を戦った同志であった。中国内戦が繰り広げられた1940年代後半、ホーの政府は中国南方の中共軍に聖域を提供した。ベトミン支援を決定する1950年、毛沢東ベトナムとの同志的紐帯を重視したのである。
 最後に中国の国内闘争がインドシナ政策に与えた影響も見過ごせなかった。1962年以降に毛沢東は、外交政策における修正主義者を批判し、帝国主義者への戦闘の継続と人民解放運動を強調するようになるが、ヴェトナム情勢は「革命の継続」を訴える毛沢東への国内支持を動員する手段として用いられた。
 このように、Qiangは中国のインドシナ政策は地政学的関心、イデオロギー、革命運動の個人的紐帯、政治情勢からなる複数の動機が交わることで決定されていたと論じる。
 毛沢東の政策決定過程の背景にあった動機を探ることはインドシナ政策に限らず興味深いテーマである。近年の中国外交の研究において、あえて単純化するならば、岡部達味『中国の対外政策』東京大学出版会、2002年は、毛沢東の政策決定判断における第一の視点を重視している。他方、Chen Jian, Mao's China & The Cold War, Chapel Hill; The University of North Calorina, 2001は毛沢東イデオロギーが対外政策に与えた影響、すなわち本書の指摘する第二の視点を重視している。この対比自体は、冷戦期の中国外交をあくまで安全保障を欲した合理的主体と見なすか、それともイデオロギーに国家的命運を託しかねない危険な非合理的存在と見なすかという興味深い議論が期待できるが、外交史的に考えた際には、やはりQiangが指摘するように毛沢東の動機は安全保障とイデオロギーが複雑に混じり合ったものであり、これを史料とつきあわせてどう解釈していくかというところが難問であろう。