記事:「林彪事件報告書」要旨

「林彪事件報告書」要旨、共同通信ウランバートル(岩手日報転載)、2006年

機内で争いか 林彪事件でモンゴル政府が調査書
 【ウランバートル13日共同】1971年9月13日に当時中国のナンバー2だった林彪共産党副主席らが毛沢東主席との対立から国外逃亡を企てモンゴルで墜落死した「林彪事件」をめぐり、当時のモンゴル人民共和国政府が、燃料不足による不時着失敗との定説に否定的な調査報告書をまとめていたことが13日までに判明した。モンゴル政府関係者は逃亡をめぐって機内で争いがあったことを示唆した。発生からちょうど35年が経過したが、中国現代史の大きな謎である林彪事件に新たな光を当てる貴重な資料といえそうだ。
 報告書は「中国機がモンゴル領内で墜落した原因に関する確定文書」と題した71年11月20日付の16ページの文書。未公開で、共同通信が未発表の現場写真とともに入手した。

林彪事件」報告書要旨 
 「林彪事件」に関する調査報告書「中国機がモンゴル領内で墜落した原因に関する確定文書」と旧ソ連とモンゴルの共同調査文書の要旨は次の通り。

 【調査報告書】

 一、1971年9月13日午前2時25分ごろ、ヘンティー県イデルメグ村で中国機が墜落。

 一、長さ975メートル、幅最大321メートルの面積で火災発生。航空機が初めて地面に接した地点から南方向に地面が三角形に削り取られた。現場から拳銃、自動小銃計8丁が見つかったが、拳銃の1丁は銃弾1発が装てんされていた。

 一、中国機は英国製トライデント機でパキスタン国際航空が65年から69年まで民間貨物機として利用。最後の燃料配給記録は3200リットル。

 一、中国民航のマークを付けているが、人民解放軍の使っていた軍用機で特別な任務を果たすため飛行していた。北京、ウランバートルイルクーツクと交信できる信号の説明書があった。

 一、事故当時の気候は安定していた。トライデント機が気象の良い条件下で進路を誤る可能性は低く、無線局とのやりとりもないことから、進路を誤ったとする中国の説明は完全に否定される。

 一、同機は操縦士の操縦ミスで墜落した。時速550−600キロで飛行し着陸タイヤを出さず、着陸灯もつけずに地面に接触した。機体が長さ600メートル、幅100メートルの範囲に散乱したことはこれを証明する。

 一、爆発による火災は長時間にわたり広範囲で起きた。墜落時にさらに飛行継続可能な燃料があったことを証明している。墜落時にエンジンは完全に正常。これらの証拠から、着陸を迫られる何らかの理由があって(意図的に)着陸を決めたとみるべき根拠はない。

 一、墜落機から見つかった文書は(中国から)要求があっても返還しない。

 【共同調査文書】

 一、1号遺体(男性、身長170センチ)と8号遺体(女性、同150センチ)から頭骨と他の骨を切断、モスクワに送った。

 一、死因は生前に受けた負傷によるもので、銃弾のあとなどはない。

 (ウランバートル共同)