苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』

 苅部直丸山眞男――リベラリストの肖像』岩波新書、2006年
丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)


 丸山の死から既に十年以上が経過したが、丸山研究は衰えるどころか一層盛んになりつつある。戦後日本を代表する知識人であった丸山を対象とした研究は、彼の著作の復刊やテキストクリティークにとどまらず、水谷三公丸山真男――ある時代の肖像』(ちくま新書)のように、丸山を通じて「戦後日本」という時代を論じたものや、竹内洋丸山眞男の時代――大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)のように社会学的分析枠組を用いて丸山と戦後知識人を論じたものなど、研究の裾野も大きく広がりを見せている。


 名著といわれる人物評伝の多くは、評伝の題材となった人物の履歴を単に追うにとどまらず、その人物がいかに当時の時代状況の中で位置づけられるのかを巧みに描き出しているものである。いわば「人」と「構造」の相互作用をいかに上手く描き出すかが評伝の評価を定める決定的なポイントだといっても過言ではない。


 竹内の著作が、戦後日本の社会状況が丸山をいかに進歩的知識人に押し上げたかを鋭く描きだすことで、丸山を規定した「構造」に着目する一方で、苅部の丸山論は、これとは対照的に、丸山という一個の政治学者が、いかに戦後日本という構造に対して生涯真摯に向き会い続けていたかを、これまであまり知られていなかったエピソードを交えて論じている。


 苅部の丸山論において特に印象深いのは、丸山や彼の師である南原繁が、いわば横文字を縦にする輸入学問を超えて、終生、市民と国家を結びつける「政治」とは何かを根源的な問いを持ち続けていたという点である。このことは丸山が思想史を専攻していたということに限らず、同時代の政治学者が、一様に総力戦体制から戦争、敗戦に至る過程の中で、政治という公的領域が私的領域に強く介入してきた体験を有していたこととは無縁ではなかろう。


 もちろん丸山の一連の業績や言説が、今日に限らず、当時から見ても小さくない限界をはらんでいたことはいうまでもない。史料批判に忠実な歴史学の観点から見て、丸山の思想史研究における史料操作や分析手法には疑問の余地があったことを竹内や苅部も指摘しているし、水谷の指摘するように、社会主義や冷戦に対する彼の言説は時代状況を不正確に捉えていたと言わざるを得ない。


 だが、いつしか理想主義者のお題目と化していったとはいえ、日本の知的社会の中において「市民社会」や「民主主義」という言葉に一種独特ともいえる重みを与えたのは他ならぬ丸山ら戦後の進歩派知識人であった。近年は彼らの残した負の遺産のみが強調されがちであるが、自らの専門に閉じこもりたいという願望があったにも関わらず、あえて積極的に社会に向けて言葉を発し続けた丸山の知識人としてのの使命感と、それがゆえに後年、日本社会に失望していく丸山の実像を、苅部は巧みに描き出しているといえよう。